
目次
はじめに
外来で毎年6~8月になると、似た悩みが続きます。「寝つけない」「朝から食欲がなく、胸がざわざわする」「クーラーの風音にもイライラする」——検査しても内科的異常は目立たないのに、心と体のエネルギーがしぼんでいく。いわゆる夏バテの枠を超え、うつ状態に踏み込んでいる方が少なくありません。これが“夏季うつ”(夏型の季節性情動障害)です。放置してよくなる方もいますが、学業・仕事・家庭生活に影響が出るほど長引くケースは、心療内科での早めの介入が効きます。
体験談(外来での印象的なケース)
Aさん(29歳・事務職) 梅雨明け頃から寝つきが悪く、夜中に何度も汗で目が覚める。朝は食欲がなくコーヒーだけで出勤、午後には頭がぼんやり。休日は外が暑くて出かける気力が出ず、SNSを見ると余計に焦る。「夏が怖い」と涙ぐみ受診。問診と評価尺度でうつ病エピソードに該当、ただし冬型のような過眠・過食ではなく「不眠・食欲低下・焦燥」が目立つ“夏型”のパターン。睡眠衛生+温度・湿度の環境調整、CBT(認知行動療法)での「予定の再設計(スモールゴール化)」、必要最低限の薬物療法を開始。3週間ほどで睡眠が整い、食欲と集中が徐々に戻り、9週目には「夏を乗り切れた」という実感に変わりました。
夏季うつとは?(夏バテとの違い)
- 位置づけ:季節性情動障害(SAD)の夏型。冬型は「過眠・過食・炭水化物渇望」が多いのに対し、夏型は「不眠・食欲低下・体重減少・焦燥・不安」が目立つ傾向[1][2]。
- 夏バテとの違い:夏バテは主に自律神経の疲労や消化機能低下による倦怠。夏季うつは情動・意欲・思考(自己否定や興味喪失)まで下がり、持続するのが特徴。睡眠障害・朝の憂うつ・喜びの喪失が数週間続くなら、心療内科へ。
なぜ起こるのか(科学的背景)
- 暑熱ストレスと睡眠の質低下:高温多湿は深部体温の下降を妨げ、入眠・熟睡を阻害[3]。不眠はうつ病発症リスクを押し上げます[4]。
- 概日リズム(体内時計)の乱れ:日照時間の伸長、夜間の人工光、生活パターンの変化でメラトニン分泌が乱れ、気分調整に関わるセロトニン系にも影響[2][3]。
- 脱水・栄養の偏り:軽度脱水でも気分・注意・疲労感が悪化[5]。暑さで食事が軽くなりすぎると、たんぱく質・鉄・ビタミンB群不足が加速。
- 社会・環境要因:通勤の暑さ、冷房の寒暖差、睡眠スケジュールの乱れ、SNSでの比較不安。人口レベルでも高温は自殺やメンタル不調の増加と関連[6]。
心療内科でできること(評価と治療)
- 評価
- うつ病重症度、双極性のスクリーニング(躁転リスク評価)、不安障害、PMS/PMDD、甲状腺・貧血など身体疾患の鑑別。
- 睡眠・光曝露・温度湿度・カフェイン/アルコール・運動・栄養・仕事負荷の聴取。
- 治療
- 認知行動療法(CBT/CBT-I):夏特有の「暑さによる回避—閉じこもり—自己否定」の悪循環を断ち、予定を“呼吸できる余白”のある設計に変更。睡眠刺激制御・就床/起床の一定化・夕方以降の強光回避・就床前90分の入浴で深部体温を一旦上げてから下げる工夫など[3][4]。
- 薬物療法:重症度や合併症に応じてSSRI/SNRI等を検討。冬季SADでのエビデンスが中心ですが、夏型でも一般的なうつ病治療と同様に有効例が多い[2][7][8]。不眠・焦燥が強い場合は短期的に睡眠薬や抗不安薬を併用することも。
- 生活リズムの再学習:光/暗闇の使い分け、適温・適湿の整え方、仕事と休息のマイクロブレイク、運動の時間帯(朝~午前の屋内有酸素や軽い筋トレ)を個別化。
- カウンセリング:ストレス対処、自己効力感の回復、家族への説明サポート。オンライン併用も可。
今夜からできる7日間ミニプラン(セルフケア)
- 温度・湿度:寝室は26~27℃(薄手の通気性のよい長袖の寝間着の場合は20~22℃)、湿度50~60%を目安。扇風機は首振りで間接風。冷え過ぎは逆効果。
- 光:起床後はカーテンを開け10~20分の自然光。就寝2時間前からは間接照明+画面のナイトモード。
- 入浴:就寝90分前にぬるめ(38~40℃)15分。汗を完全に拭き、吸湿速乾の寝具に。
- 水分・電解質:喉の渇き前にこまめに。日中は0.5~1%程度の塩分や電解質飲料を場面に応じて。カフェインは昼過ぎまで。
- 食事:朝にたんぱく質(卵・納豆・ヨーグルト)+果物。昼は丼ではなく定食型。夜は消化にやさしい主菜を。
- 運動:短時間でも毎日。家の中でできるストレッチやスクワット。汗をかいたら電解質補給。
- 予定:ToDoは3つまで。1つできたら「合格」。残りは“明日の自分”に委ねる。
受診の目安
- 2週間以上、憂うつ・興味喪失・不眠/早朝覚醒・焦燥・食欲低下が続く
- 仕事・学業・家事に支障が出ている
- 「消えたい」「自分が価値ない」などの思いが強い 上記に当てはまる場合は、心療内科の受診やカウンセリングを検討してください。自傷念慮や希死念慮があるときは、ためらわず緊急受診や地域の相談窓口へ。
よくある質問(FAQ)
Q1. 夏バテと“夏季うつ”の違いは? A. 夏バテは休息と栄養で数日~1週間で回復しやすい一方、夏季うつは気分の落ち込みや興味の喪失が2週間以上続きます。特に「朝がつらい」「自己否定が止まらない」「疲れているのに眠れない」は受診サインです。
Q2. 何科に行けばいい? A. 心療内科・精神科が適切です。身体疾患が疑われる場合は内科と連携します。まずは心療内科で総合的に評価を。
Q3. 市販の睡眠サプリで様子見してよい? A. 軽症なら一時的に役立つこともありますが、不眠が続く/日中機能に影響しているなら医療介入を。背景にうつ病や不安障害が隠れていることがあります。
Q4. エアコン設定の目安は? A. 就寝時は26~27℃・湿度50~60%が目安。冷やし過ぎは夜間覚醒や頭痛の原因に。扇風機との併用で体感を微調整。
Q5. 夏季うつに光療法は効きますか? A. 冬季SADでは確立した選択肢ですが、夏型では睡眠・生活リズム調整と環境(温度・湿度・暗化)の最適化が優先。個別に検討します[7][8]。
Q6. 家族はどう支えれば? A. 「怠けではない」と理解し、予定を詰め込み過ぎない配慮を。朝の光、夜の静かな環境づくり、一緒に食事・散歩など“小さな同行”が役立ちます。
医師からのメッセージ
夏は元気でいなければ——そんな思い込みが、苦しさを深くします。暑さに弱い体質も、眠りが浅くなる季節特性も、人それぞれ。あなたの“夏の設計”は、あなたの体に合わせてよいのです。つらさは我慢せず、どうか早めに頼ってください。心療内科は、あなたが少しでも楽に呼吸できる夏を一緒につくる場所です。
参考文献(PubMed)
[1] Rosenthal NE, Sack DA, Gillin JC, et al. Seasonal affective disorder: A description of the syndrome and preliminary findings with light therapy. Arch Gen Psychiatry. 1984;41(1):72-80. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6581753/ [2] Lam RW, Levitan RD. Pathophysiology of seasonal affective disorder: A review. J Psychiatry Neurosci. 2000;25(5):469-480. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11022410/ [3] Okamoto-Mizuno K, Mizuno K. Effects of thermal environment on sleep and circadian rhythm. Sleep Med Rev. 2012;16(3):251-259. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22326594/ [4] Baglioni C, Battagliese G, Feige B, et al. Insomnia as a predictor of depression: A meta-analytic evaluation of longitudinal epidemiological studies. J Affect Disord. 2011;135(1-3):10-19. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/21860495/ [5] Armstrong LE, Ganio MS, Casa DJ, et al. Mild dehydration affects mood in healthy young women. J Nutr. 2012;142(2):382-388. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/22237309/ [6] Burke M, González F, Baylis P, et al. Higher temperatures increase suicide rates in the United States and Mexico. Proc Natl Acad Sci U S A. 2018;115(35):E7910-E7915. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30082491/ [7] Rohan KJ, Mahon JN, Evans M, et al. Randomized trial of cognitive-behavioral therapy versus light therapy for seasonal affective disorder: Acute outcomes and two winter follow-up. Am J Psychiatry. 2015;172(9):862-869. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25930130/ [8] Lam RW, Levitan RD, Enns MW, et al. The Can-SAD study: A randomized controlled trial of light therapy and fluoxetine in winter seasonal affective disorder. Am J Psychiatry. 2006;163(5):805-812. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/16585450/