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はじめに:その一言がブレーキになる
外来で「考え出すと止まらない」「不安で眠れない」と相談される方は多くいます。仕事のミス、対人関係、将来不安。脳は“最悪シナリオ”を量産し、心拍は上がり、胃は痛み、自律神経は乱れます。
そんなとき、私が診療でよく提案する“最初の一言”が「まあ、死なないからいっか」。乱暴に見えて、その実、臨床的には「過剰な脅威評価を下げるリセットフレーズ」です。
これは、問題を放置する合言葉ではありません。呼吸を整え、現実検討に戻り、やるべき最小の一歩へ自分を戻すための“減圧バルブ”。認知行動療法(CBT)やマインドフルネスでも中核になる「再評価(リフレーミング)」の入り口です。
なぜ効く?心理学と脳科学の視点
- 認知行動療法(CBT)の「破局化の修正」
不安障害やうつ病で起こりやすい“破局思考(catastrophizing)”に対し、「最悪=死」ではないと距離を取ることで、思考のボリュームを下げます。 - 自律神経への影響
「危険ではない」とラベリングすることで、交感神経の過活動が落ち着き、心拍・呼吸が整いやすくなります。副交感神経(迷走神経)優位に傾くことで、胃痛・頭痛・肩こりなど心身症にもプラスに働きます。 - 脳のネットワーク
反芻・後悔・不安を回し続けるデフォルトモードネットワーク(DMN)から、注意・行動の実行系へ意図的に切り替える“合図”になります。 - レジリエンスの訓練
「完璧じゃなくても大丈夫」という自己効力感を少しずつ回復し、ストレス耐性(レジリエンス)を高めます。
この口癖が効く場面・危険な場面
- 効く場面
- プレゼン前の過剰な緊張
- 仕事の小さなミスを引きずるとき
- 就寝前の不安の渦
- パニック発作後の“次が怖い”に対して
- 危険・控える場面(医療的な赤信号)
- 胸痛、激しい頭痛、麻痺、意識障害など“命に関わる可能性”がある身体症状
- 自傷衝動や希死念慮があるとき
- 摂食障害の重度の低栄養、重度うつ病、アルコール依存など安全確保が必要な状況
これらは「受診が先」です。「まあ、死なないからいっか」で見過ごさないでください。119や地域の救急、精神保健福祉センターへ。
技術にする:5ステップ実践法
- 止まる
肩に手を置く、深呼吸を1回。「ここに戻る」合図を作る。 - 合言葉
小声で「まあ、死なないからいっか」。声に出すと身体もついてきます。 - 呼吸
4秒吸って、6〜8秒で吐く×5セット(呼気長めで副交感神経を優位に)。 - 現実検討のメモ
- 今の最悪予測は何点の確率?
- 過去の証拠は?対策は?
- “今日の最小の一歩”は?(例:メール1通、5分だけ資料)
- 行動で締める
タイマー5〜10分で着手。できたら自分に小さく“いいね”。
症状・原因・治療の全体像(心療内科の基礎)
- よくある症状
- 不安、焦り、イライラ、抑うつ気分、予期不安
- 動悸、息苦しさ、胃痛・下痢、頭痛、めまい、倦怠感、睡眠障害
- 頻回の体調不良(検査異常が乏しい心身症)
- 主な背景(原因)
- 慢性ストレス、過重労働、昼夜逆転、対人葛藤、完璧主義
- 自律神経の乱れ、学習された不安(条件づけ)、ホルモン変動
- 治療の選択肢
- 心理療法:認知行動療法、ACT(アクセプタンス&コミットメント)、マインドフルネス、カウンセリング
- 生活調整:睡眠衛生、運動、公私の境界設定、デジタルデトックス、栄養
- 薬物療法:SSRI/SNRI、抗不安薬(必要最小限・短期)、睡眠薬の適正使用
- 産業医・主治医と連携した就労調整(短時間勤務、在宅ワーク、休職・復職支援)
体験談:Mさん(29歳・IT職)
「夜になると『明日の会議で詰む』と考えが止まらず、胃痛で寝つけない。カウンセリングって大げさかな、と躊躇していました。
カウンセリングを受けていく中で、『まあ、死なないからいっか』と徐々に思えるようになり、そのあたりから具体的な対策を立てられるようになってきました。カウンセリングで習得した、呼吸とセットで唱えてから“最小の一歩”をメモするようにしたら、不安や緊張の波が弱まる感覚がありました。
3週間後、会議前もパニックにならず、発表後に『まあ、次に活かせばいいか』と自然に思えた。今は週1のカウンセリングと、睡眠時間の固定を続けています。胃痛は8割減、残り2割は“付き合える”感じです。」
(診療メモ:破局思考→再評価、回避→段階的暴露、睡眠衛生の是正で自律神経が安定。SSRIは見送り、心理療法中心で経過良好)
よくある質問(FAQ)
- Q1. この口癖は“問題を軽視”しませんか?
A. 問題を軽視するためではなく、恐怖のボリュームを下げ“取り組める”状態に戻すための合図です。その後に現実的対策を行います。 - Q2. パニック発作にも使えますか?
A. はい。呼吸法と組み合わせると、発作後の“発作への恐怖”を下げる助けになります。胸痛や失神など身体の赤旗があれば受診を優先してください。 - Q3. うつ病のときも有効ですか?
A. 重症度によります。無力感や希死念慮が強い場合は、自己対処よりまず受診・安全確保が先決です。軽症~中等症ではCBTや生活調整と併用して有効です。 - Q4. 子どもや思春期にも?
A. 言い回しを柔らかく(「だいじょうぶ。命にかかわることじゃないよ」など)し、安心の土台を作る支援が鍵です。 - Q5. 上司や家族に“楽観的すぎる”と言われます
A. 「落ち着くための合図→計画に戻るため」と目的を伝えましょう。感情の否定ではなく、行動のための減圧です。 - Q6. 何週間で効果が実感できますか?
A. 多くの方が1~2週間で“波の強さが下がる”と感じます。睡眠衛生・運動・カフェイン調整とセットにすると効果が安定します。 - Q7. 服薬が不安です
A. 薬は“最後の拠り所”ではなく“回復を助ける杖”です。副作用・中止法まで説明の上で、必要最小限・最短で使います。納得が最優先です。 - Q8. 受診の目安は?
A. 2週間以上続く不調、日常生活や仕事への支障、睡眠障害、希死念慮や自傷衝動があれば早めに心療内科・精神科へ。
受診・カウンセリングのすすめ
- 初診で伝えると役立つこと
- 困りごとの優先順位(上位3つ)
- 発症時期ときっかけ、1日の変動
- 睡眠・食事・運動・カフェイン・アルコール
- 仕事量や勤務形態、産業医面談の有無
- カウンセリングの進み方
- 目標設定→技法学習(認知再構成・露出・問題解決)→ホームワーク→振り返り
- オンライン/対面の併用も有効(継続しやすさが鍵)
医師からのメッセージ
完璧に生きようとするほど、心は細く張りつめます。「まあ、死なないからいっか」は、投げやりではなく“人が人として生き延びる知恵”です。
あなたが今日をやり切るための、小さな余白になりますように。もし一人で難しいと感じたら、いつでも受診してください。丁寧に一緒に整えていきましょう。

