
目次
はじめに
外から見れば頑張れている。でも、心と体は疲れ切っている——。診察室では、こうした「隠れうつ」の方に毎日のように出会います。気力の問題でも甘えでもありません。脳と心身のエネルギーのバランスが崩れる「病気」で、早めの対応で十分に回復が見込めます。ここでは、仕事の現場で見逃されやすいサインと、今日からできる一歩、そして専門的な支援の受け方をお話しします。
隠れうつとは(サブスレッショルドうつ/ハイパフォーマンス型うつ)
- うつ病の診断基準にギリギリ満たない、もしくは波があって見えにくい状態。本人も周囲も気づきにくいのが特徴。
- 「まだ働ける」「頑張ればできる」ため、受診の遅れや悪化につながりやすい。
- 医学的には、サブスレッショルドうつ、軽症うつ、持続性抑うつ(PDD)にまたがることがあります。
仕事で出やすいサイン(チェックリスト) 該当が多いほど注意。2週間以上続く場合は受診を検討してください。
- 朝起きるのがつらい、休日も疲れが取れない
- 眠りが浅い/早朝に目覚める/寝つけない
- 集中力が落ち、ミスが増える・判断に時間がかかる
- イライラ、感情の起伏、同僚や家族に当たってしまう
- 楽しめていたことが楽しめない(興味の低下)
- 首肩こり、頭痛、胃腸不調、動悸など自律神経症状
- 反すう思考(同じ不安がぐるぐる回る)
- アルコールや甘いものに頼りがち
- 「自分がダメだ」という自己否定が強まる
なぜ働く人に多いのか(原因と背景)
- 長時間労働、在宅勤務によるオンオフの曖昧さ
- 役割の多重化(ケア・育児・介護と仕事の両立)
- 完璧主義や責任感の強さ
- 職場の人間関係、ハラスメント
- 成果主義・評価プレッシャー、プレゼンティーイズム(不調でも出社し続ける)
仕事への影響
- 生産性低下、意思決定の遅延、創造性の低下
- プレゼンティーイズムにより組織全体のパフォーマンスを蝕む
- 放置すると本格的なうつ病・休職につながることも
今日からできる「早めの対応」
- 自己チェック:PHQ-9(9項目うつ病質問票)で現状把握
- 生活の土台:睡眠時間の確保(+15分から)、朝散歩、昼の糖質過多を避ける、水分、カフェインは午後控えめ
- 仕事の調整:期限交渉・優先順位の見直し・会議の間引き
- 相談の一歩:信頼できる同僚・家族・上司・産業医に共有
- 専門家へ:心療内科・精神科、職場のEAP、カウンセリング
治療と支援(エビデンスにもとづく選択肢)
- カウンセリング/認知行動療法(CBT) 思考と行動のクセを整理し、負担を小さくする技法。軽症〜中等症で有効。オンライン併用も可。
- 薬物療法 症状や生活機能の落ち込みが強い場合に検討。副作用や目標を医師と共有し、最小限で適切に。
- ライフスタイル介入 有酸素運動(週合計90〜150分目安)、睡眠衛生、アルコール控えめ、デジタルデトックス。
- 産業医・会社制度 勤務配慮、短時間勤務、在宅の最適化、休職・復職支援プログラムの活用。
受診の目安
- 症状が2週間以上続く/悪化する
- 仕事・家事・育児が回らない
- 食欲・体重・睡眠の大きな変化
- 自傷念慮や「消えたい」感覚が出る 緊急性が高い場合は、ためらわず緊急窓口や地域の相談窓口に連絡してください。
体験談(仮名・要約) 田中さん(34歳・エンジニア)
在宅勤務で時間に余白ができたはずが、いつの間にか夜までPCの前。朝の頭重感、ミスの増加、週末の無力感が続き、自己肯定感が落ちてご相談に。PHQ-9は軽中等度。週1回のCBTで「完璧主義の罠」を言語化し、朝の15分ウォーキングと会議の間引き、夜のスマホオフを導入。3カ月で集中力が戻り、趣味のランニングも再開できました。「頑張る方向を整えたら、頑張れるようになった」と笑顔で話されました。
よくある質問(FAQ)
Q1. 隠れうつと「燃え尽き(バーンアウト)」の違いは? A. 重なる部分がありますが、隠れうつは「興味・喜びの低下」や自己否定、体の不調が目立ち、私生活にも広く影響します。専門家の評価が有用です。
Q2. 薬は必ず必要ですか? A. いいえ。軽症〜中等症はカウンセリングや生活調整で改善することも多いです。必要に応じて最小限で行い、計画的に見直します。
Q3. 会社には伝えるべき? A. 安全配慮や業務調整のため、産業医や人事の信頼できる窓口に最小限の情報で共有すると、回復が早まります。診断書の活用も。
Q4. リモートワークでも悪化しますか? A. 境界が曖昧になると悪化しやすいです。開始と終了の儀式(着替え・散歩)、昼休みの確保、会議の間引きが有効です。
Q5. 家族・同僚ができるサポートは? A. 評価や助言より、具体的手助け(家事の肩代わり、就業調整)と傾聴。「頑張って」ではなく「一緒に相談先を探そう」。
Q6. どれくらいで良くなりますか? A. 個人差はありますが、適切な介入で数週間〜数カ月での改善が一般的です。再発予防として3〜6カ月の支援継続が有用です。
心療内科・カウンセリングを勧める理由
- 早期の評価で重症化を防ぎ、休職や離職を回避できる可能性が高まります。
- 客観的な評価(POMS2など)、治療選択肢の提示、職場連携、再発予防まで一体的に支援できます。
- オンライン相談や昼休みの短時間カウンセリングなど、働く人向けの枠組みも増えています。
医師からのメッセージ あなたのしんどさは、弱さではありません。見えにくいだけで、確かにそこにある「症状」です。ひとりで抱え込むほど、視界は狭くなります。少しだけ、荷物を私たちに持たせてください。最初の一歩は、深呼吸と相談の予約から。回復のルートは、必ず見つかります。
安全への配慮 強い絶望感・自傷の考えがある場合は、地域の救急・相談窓口に直ちに連絡してください。本記事は一般情報であり、診断や治療の代替にはなりません。
引用文献(PubMed)
- Kroenke K, Spitzer RL, Williams JB. The PHQ-9: Validity of a brief depression severity measure. J Gen Intern Med. 2001;16(9):606-613. PubMed: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11556941/
- Wang PS, Simon GE, Avorn J, et al. Telephone screening, outreach, and care management for depressed workers and impact on clinical and work productivity outcomes: a randomized controlled trial. JAMA. 2007;298(12):1401-1411. PubMed: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17895456/
- Cipriani A, Furukawa TA, Salanti G, et al. Comparative efficacy and acceptability of 21 antidepressant drugs for the acute treatment of adults with major depressive disorder: a systematic review and network meta-analysis. Lancet. 2018;391(10128):1357-1366. PubMed: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29477251/
- Cooney GM, Dwan K, Greig CA, et al. Exercise for depression. Cochrane Database Syst Rev. 2013;(9):CD004366. PubMed: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23621831/