
突然の事故や災害を経験した後、心に強い不安や恐怖を感じることは自然な反応です。しかし、その辛さが長く続くとき、それは「心のけが」、医学的にはトラウマや**PTSD(心的外傷後ストレス障害)**かもしれません。
目次
トラウマとは何か?心の傷の正体
トラウマとは、心に深い傷を負うような出来事を経験した後に起こる心理的な反応です。交通事故、自然災害、暴力被害など、命の危険を感じるような体験がきっかけとなることが多いのです。
心療内科の臨床現場では、トラウマを抱える患者さんが増加傾向にあります。日本トラウマティックストレス学会の調査によると、日本人の約6%がPTSDの症状を経験しているとされています[1]。
こんな症状があれば要注意!心のSOSサイン
トラウマによる心の不調には、以下のような特徴的な症状があります:
- フラッシュバック:突然、つらい出来事を鮮明に思い出してしまう
- 悪夢や睡眠障害:事故や災害の夢を繰り返し見る
- 過覚醒状態:常に緊張し、ささいな物音にも過剰に反応する
- 回避行動:事故や災害を思い出させる場所や状況を避ける
- 感情の麻痺:何に対しても感情が湧かなくなる
- 集中力低下:仕事や勉強に集中できない
これらの症状が1ヶ月以上続き、日常生活に支障をきたす場合は、PTSDの可能性があります。早期の専門的ケアが回復への近道です。
心のけがはなぜ起こる?脳のメカニズム
最新の神経科学研究によると、トラウマ体験は脳の扁桃体(感情を司る部位)と前頭前皮質(理性を司る部位)のバランスを崩すことが分かっています[2]。恐怖記憶が通常の記憶処理過程を経ずに脳に刻まれることで、長期間にわたって症状が持続するのです。
心のけがを放置するとどうなる?
トラウマやPTSDを適切に治療せずに放置すると、以下のようなリスクが高まります:
米国国立PTSDセンターの研究では、適切な治療を受けないPTSD患者の約40%が慢性化し、症状が10年以上続くことが報告されています[3]。
心のけがの治し方:効果的な治療法
トラウマやPTSDには、科学的に効果が実証された治療法があります:
- トラウマフォーカスト認知行動療法(TF-CBT):トラウマ記憶を安全に処理し、考え方のパターンを変える
- EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法):両側性刺激を用いてトラウマ記憶を処理する
- プロロングドエクスポージャー療法:トラウマ記憶に段階的に向き合う
- 薬物療法:SSRIなどの抗うつ薬がPTSD症状の緩和に効果的
日本トラウマストレス学会のガイドラインでも、これらの治療法の有効性が示されています[4]。
セルフケアでできること
専門家の治療を受けながら、以下のセルフケアも回復を助けます:
- 規則正しい生活リズムを保つ
- 適度な運動を取り入れる
- リラクセーション技法(深呼吸、瞑想など)を実践する
- 信頼できる人に気持ちを話す
- 睡眠の質を高める工夫をする
ただし、セルフケアだけでは十分な効果が得られないことも多いため、症状が続く場合は専門家への相談が重要です。
心療内科やカウンセリングを受けるタイミング
以下のような場合は、心療内科やトラウマ専門のカウンセリングを検討しましょう:
- 事故や災害から1ヶ月以上経っても症状が改善しない
- 仕事や学校、家庭生活に支障をきたしている
- 不安や恐怖で外出できない
- 睡眠障害が続いている
- アルコールや薬物に頼るようになった
- 自殺念慮がある
早期の専門的介入が回復の可能性を高めることが、多くの研究で示されています[5]。
心療内科受診の流れ
初めての心療内科受診は不安かもしれませんが、その流れを知っておくと安心です:
- 予約:多くの心療内科は予約制です
- 問診:症状や経過について詳しく聞かれます
- 診察:必要に応じて心理検査や身体検査を行うことも
- 診断と治療方針の説明:状態に合った治療法を提案されます
- 治療開始:薬物療法や心理療法、または両方を組み合わせて進めます
家族や周囲の人ができるサポート
トラウマを抱える人の家族や友人ができることもあります:
- 無理に話を聞き出そうとせず、本人のペースを尊重する
- 「頑張れ」「忘れなさい」などの言葉は避ける
- 専門家への相談を優しく勧める
- 日常生活のサポートをする
- 自分自身も疲れたら休息を取る
医師からのメッセージ
心のけがは、骨折や外傷と同じく「治療が必要な状態」です。辛い体験の後に心の不調を感じることは決して恥ずかしいことではなく、むしろ自然な反応です。
現代の心療内科では、トラウマやPTSDに対する効果的な治療法が確立されています。適切な治療を受けることで、多くの方が症状の改善を実感し、日常生活を取り戻しています。
もし今、心に苦しさを抱えているなら、ぜひ専門家に相談してください。あなたの回復をサポートするために、私たち心療内科医は存在しています。一人で抱え込まず、一緒に回復への道を歩みましょう。
参考文献
[1] Kawakami N, et al. (2014). Prevalence, onset, and course of post-traumatic stress disorder in Japan. World Psychiatry, 13(3), 335-343. https://doi.org/10.1002/wps.20157
[2] Shin LM, Liberzon I. (2010). The neurocircuitry of fear, stress, and anxiety disorders. Neuropsychopharmacology, 35(1), 169-191. https://www.nature.com/articles/npp2009183
[3] Kessler RC, et al. (2017). Trauma and PTSD in the WHO World Mental Health Surveys. European Journal of Psychotraumatology, 8(sup5), 1353383. https://doi.org/10.1080/20008198.2017.1353383
[4] 日本トラウマティックストレス学会 (2016). PTSDの治療ガイドライン第3版. http://www.jstss.org/guideline/
[5] Roberts NP, et al. (2019). Early psychological interventions to treat acute traumatic stress symptoms. Cochrane Database of Systematic Reviews, 2019(3), CD007944. https://doi.org/10.1002/14651858.CD007944.pub2