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Quiet Quitting は「怠け」ではなく、心の防衛反応かもしれない
ここ数年、静かな退職(Quiet Quitting)という言葉をSNSで見かけるようになりました。会社を辞めるわけではないものの、昇進やキャリアアップを目指さず、与えられた職務の範囲内で最低限の業務のみをこなす働き方という意味だそうです。
- 仕事は最低限こなすが、それ以上のことはしない
- 残業はできるだけ避ける
- 昇進や評価より、プライベートを重視したくなる
- 昔は前向きだったのに、最近は「どうでもいい」という気持ちが強い
これだけ聞くと、「やる気がない」「意識が低い」と評価されがちです。
しかし、カウンセリングや診療の中で話を丁寧に聞いてみると、
- 長時間労働やハラスメントによる慢性的なストレス
- 過労からくる睡眠障害・抑うつ状態
- 仕事の意味が分からなくなる虚無感
- 職場への怒りや失望を飲み込み続けてきた結果の諦め
といった「心の防衛反応」としての Quiet Quitting であることが少なくありません。
静かな退職は、「心がこれ以上壊れないようにスイッチを切っている状態」とも言えます。
それを「怠け」と一言で片付けるのは、とても危険です。
うつ病・適応障害・バーンアウトと Quiet Quitting の違い
うつ病との違い・重なり
うつ病では、以下のような症状が2週間以上続くことが多いです。
- 一日中、気分が落ち込む
- 今まで好きだったことが楽しく感じられない
- 考えがまとまりにくくなる、仕事の効率が落ちる
- 食欲や体重の変化、寝つきの悪さ、早朝覚醒
- 自分を責める考えが増える
Quiet Quitting は、必ずしも「うつ病そのもの」ではありませんが、
- 心がすり減っていく過程での「途中経過」
- うつ病の初期症状の一部として現れる状態
であることが少なくありません。
「最近やる気が出ない」「仕事がどうでもよく感じる」が続いているなら、早めに心療内科で相談する価値があります。
適応障害との関係
適応障害は、特定のストレス(例:上司の異動、部署移動、パワハラ、人間関係の悪化など)をきっかけに、
- 気分の落ち込み、不安、イライラ
- 集中力低下、ミスの増加
- 出社前にお腹が痛くなる、頭痛が出る
といった症状が出る状態です。
静かな退職を選ぶ人のなかには、
- 「上司との関係で心が折れてしまった」
- 「職場が合わないので、気持ちだけ先に引いている」
といった、適応障害に近いプロセスをたどっている場合があります。
バーンアウト(燃え尽き症候群)との違い
バーンアウトは、特に医療職・介護職・教育現場・コールセンター・ITエンジニアなど、対人ストレスや過重労働が多い業界で起きやすい状態です。
- 「もう何もしたくない」
- 「頑張るエネルギーが底をついた感じがする」
- 「患者さんやお客様に冷たくなってしまう自分がいる」
といった「燃え尽き」の感覚が特徴的です。
Quiet Quitting は、バーンアウトの手前で「これ以上燃え尽きないように、火を小さくしている」状態とも言えます。
静かな退職の裏に見える、よくある心のサイン
診察室でよく聞く言葉を、少しだけ紹介します。(内容は匿名化・一部改変しています)
- 「朝起きると、まず“会社に行きたくない”が頭に浮かぶ」
- 「在宅勤務になってから、仕事と私生活の境目が分からなくなった」
- 「Slack や Teams の通知音が鳴るたびに、心臓がドキッとする」
- 「会議で何か言われるたびに、自分を全否定されたように感じる」
- 「休みの日は、ベッドからほとんど動けない」
これらは、うつ病・不安障害・適応障害など心療内科で扱う病気の初期サインであることが多いです。
静かな退職を選んでいるつもりでも、実は「静かなうつ状態」が進んでいる。
そんなケースが少なくありません。
実際の相談例(仮想の体験談)
ケース1:30代男性・営業職「気づいたら、仕事が“最低限モード”になっていた」
30代の男性会社員Aさんは、営業職で成果を出し続けてきた方でした。
しかし、コロナ禍を境に、リモートワークとノルマの増加で、徐々に疲れが溜まっていったと話します。
「1年くらい前から、残業してでも成果を出したいという気持ちが薄れてきて、
“クビにならない程度にやっておけばいいや”と考えるようになりました。」
AさんはSNSで Quiet Quitting という言葉を知り、「自分もこれでいいのかもしれない」と一時的に安心したそうです。
しかし、そのうち、
- 眠りが浅くなる
- 休日は何もする気が起きない
- 「このままフェードアウトしたい」と考えてしまう
といった状態になり、不安になって心療内科を受診されました。
診察と尺度検査の結果、Aさんは軽度のうつ病とバーンアウト傾向と判断されました。
抗うつ薬を少量から開始し、同時にカウンセリングで「仕事との距離感」「自分の価値観とキャリアの整理」を行っていきました。
数ヶ月後、
「今も“ガツガツ働きたい”わけではないですが、
“自分が無価値だ”という感覚は薄れました。
会社との距離の取り方も、前より冷静に考えられています。」
と話してくれました。
Quiet Quitting そのものが悪いのではなく、「心の消耗」に気づかないまま放置してしまうことが危険なのです。
自分でチェックできる「危険信号」
以下に挙げるようなサインが複数当てはまる場合、Quiet Quitting の裏に、心の病気が隠れている可能性があります。
- 以前は楽しめたことが、ほとんど楽しくない
- ミスが増え、集中できなくなってきた
- 休日に仕事のことを考えると、動悸・頭痛・吐き気が出る
- 「誰とも話したくない」「返信が重く感じる」と思うことが増えた
- 将来のことを考えると、漠然とした不安や絶望感に襲われる
- 寝つきが悪い、夜中や早朝に目が覚めてしまう
- 「いなくなってしまいたい」と一瞬でもよぎる
これらは、うつ病・不安障害・適応障害の典型的なサインです。
静かな退職を選ぶ前に、あるいは選んでいる最中でも、心療内科やカウンセリングで状況を整理してみることをおすすめします。
心療内科やカウンセリングに通うメリット
「こんなことで病院に行ってもいいのか」「忙しくて時間がない」と、受診をためらう方は少なくありません。
しかし、早めの相談には、次のようなメリットがあります。
1. 病気かどうかを専門家と一緒に整理できる
- ただの「疲れ」なのか、
- うつ病や適応障害の診断に当てはまる状態なのか、
- 仕事環境の問題が大きいのか、
を一人で判断するのは難しいものです。
心療内科では、問診・心理検査を組み合わせて、医学的な視点から状態を一緒に整理していきます。
2. 休職・復職・転職のタイミングを相談できる
Quiet Quitting の相談では、ほぼ必ず「辞めるべきか/続けるべきか」というテーマが出てきます。
心療内科では、
- 休職が必要なレベルかどうか
- 社内で配置転換を相談できるか
- 転職を急ぐべきか、少し回復してから考えるべきか
といった現実的な選択肢を、体調と照らし合わせながら検討します。
3. カウンセリングで「働き方のクセ」を見直せる
真面目で責任感が強い人ほど、
「NOと言えない」「仕事を引き受けすぎる」「自分より会社を優先しがち」
という傾向があります。
カウンセリングでは、
- 自分の考え方のパターン(認知のクセ)
- 働き方のクセ(完璧主義、自己犠牲)
- 人との距離のとり方
を整理し、「ほどよい力の抜き方」「健康的な境界線」を一緒に考えていきます。
Q&A —— よくある質問に医師が回答
Q1. Quiet Quitting をしている自分は、甘えているだけでしょうか?
A. 甘えかどうかは問題の本質ではありません。
むしろ、「頑張りすぎて心と体が限界に近づいているサイン」であることが多いです。
甘えかどうかで自分を裁くより、
「このまま続けたら、半年後・1年後の自分はどうなっていそうか」
と長期的に考えてみることがお勧めです。
不安を感じるなら、一度心療内科で相談してみる価値があります。
Q2. 仕事がつらいのですが、病院に行くほどではない気がします。
A. “病院に行くほど”かどうかを、自分で判断する必要はありません。
「行くべきハードル」を高く設定しすぎて、結果的に受診が遅れてしまい、
うつ病が重症化するケースを多く見てきました。
- 眠れない
- ご飯が美味しくない
- 仕事に行く前に体調が悪くなる
こうした変化が2週間以上続く場合は、一度受診を検討してよいレベルと考えてください。
Q3. 心療内科とカウンセリング、どちらに行けばいいですか?
A. 迷う場合は、まず心療内科で相談することをおすすめします。
心療内科では、
- 医学的な診断と治療(薬物療法を含む)が必要か
- カウンセリング主体でも対応できるか
を判断し、必要に応じて臨床心理士や公認心理師によるカウンセリングを併用することができます。
Q4. 上司や人事に、心療内科に通っていることを知られたくありません。
A. 原則として、医療機関は守秘義務があります。
ご本人の同意なしに、会社へ情報が伝わることはありません。
ただし、休職手続きや産業医面談などが必要な場合は、
どこまで会社に伝えるかを、主治医と一緒に相談して決めていきます。
Quiet Quitting を選ぶ前に、できる小さなセルフケア
心療内科やカウンセリングと並行して、日常生活でできるセルフケアも大切です。
ここでは、患者さん方に実際にお伝えしている方法の一部を紹介します。
- 睡眠リズムを整える
- 平日と休日の起床時間を2時間以上ズラさない
- 寝る1時間前からスマホやPCのブルーライトを減らす
- 情報の取りすぎを減らす
- SNSで職場やキャリアに関する過激な情報を見すぎない
- 「理想の働き方」と自分を比較して落ち込まない
- 1日5分でいいので、「何もしない時間」を作る
- コーヒーを飲みながら窓の外を見る
- 呼吸だけに意識を向けてみる
- 信頼できる人に、1つだけ本音を話してみる
- 「最近、仕事がしんどくて」
- 「疲れが取れないんだよね」
「静かな退職」を選ぶこと自体を責める必要はありません。
ただ、その裏で、あなたの心が静かにSOSを出していないか——
時々、立ち止まって確かめてみてください。
医師からのメッセージ
診察室で、「こんなことで受診してすみません」と、申し訳なさそうにおっしゃる方が多くいらっしゃいます。
私はむしろ、
「ここまでずっと頑張ってこられたのですね」
という気持ちで、お話をうかがっています。
静かな退職(Quiet Quitting)は、
「自分を守るための、ぎりぎりのブレーキ」であることが少なくありません。
そのブレーキを、責める必要はありません。
ただ、ブレーキを踏み続けていると、
エンジン(心と体)そのものが痛んでしまいます。
- うつ病や適応障害、不安障害として治療が必要な状態なのか
- 仕事や職場との距離感を見直す時期なのか
- 転職や休職を含めて、どんな選択肢があり得るのか
一人で抱え込まずに、専門家と一緒に考えてみませんか。
心療内科やカウンセリングは、
メンタルケアが今日ほど普及していなかった昔の考え方のように、決して「弱いから行く場所」ではなく、
**「自分の人生を大切にしたい人が、自分の人生の質を上げるため、早めに相談する場所」**になってほしい、と思っています。それは弱さではなく、むしろ1つの強さであり、意識してセルフケアを行っていくことでもあります。
あなたが、仕事だけでなく、
自分の心と生活も大切にできるよう、
医療者として、そして一人の人間として、そっと寄り添えたらうれしいです。

