
目次
あなたが感じる世界は「客観的な現実」ではなく、あなたの脳がつくる物語かもしれません
診察室で、よくこんな言葉を耳にします。
- 「私はダメな人間です」
- 「周囲に味方が一人もいません」
- 「絶対失敗します」
医師としてお話を聞いていると、
その方の「現実の世界」と、
客観的に見た「外側の現実」とが、少し違っていることがよくあります。
これは、「その人の感じ方が間違っている」という意味ではありません。
むしろ、人間の脳の「基本仕様」の話です。
人間の脳は、膨大な情報をそのまま処理するのが苦手な代わりに、
「自分なりの物語(シミュレーション)」をつくるのが得意です。
これらがすべて混ざり合って、
あなたの脳の中に「世界のシミュレーション」が組み上がっていきます。
この記事でお伝えしたいのは、
あなたの見ている世界は「あなたの脳のバージョン」であり、
そのシミュレーションは、少しずつ書き換えることができる
という、とても「楽観的な前提」です。
シミュレーション仮説は、心の病気にとって「怖い話」ではなく「希望の話」
「世界はシミュレーションかもしれない」と聞くと、
- SFっぽくて現実離れしている
- なんだか怖い
- じゃあ、すべて意味がないのでは?
と感じる方もいると思います。
でも、心療内科医として、
この仮説を 「心を楽にする比喩」 として見ると、むしろ希望があると感じます。
うつ病の人が見ている世界
うつ病の患者さんの多くは、こうおっしゃいます。
- 「何をしても無駄に思える」
- 「自分だけが取り残されている」
- 「他人に迷惑しかかけていない」
これは、うつ病という「脳の病気」によって、
シミュレーションの画面全体が、暗くフィルターをかけられた状態です。
同じ出来事が起きても、
- うつ病がなければ「少し落ち込む程度」で済んだことが
- うつ病があると「人生の終わりのように」感じてしまう
これは、「感じ方が弱いから」でも「気合いが足りないから」でもなく、
脳のシミュレーションエンジン自体が疲れ切っている状態 と理解した方が、治療もしやすくなります。
不安障害・パニック障害の人が見ている世界
不安障害やパニック障害のとき、脳は「危険」を過剰に予測します。
- 人前で話す → 「必ず失敗して笑われる」
- 電車に乗る → 「また発作が起きて倒れる」
- 上司に呼ばれる → 「怒鳴られてクビになる」
現実には「そこまでの危険はない」ことが多くても、脳の中のシミュレーションでは、
最悪の未来が「確定事項」のように再生され続けます。
ここで大切なのは
「あなたが弱いから不安なのではなく、脳の予測機能が過剰に働いてしまっている」
という理解です。
だからこそ、
- 薬物療法(必要に応じて抗不安薬・抗うつ薬など)
- 認知行動療法(考え方・行動パターンの修正)
- マインドフルネスや自律訓練法など
を組み合わせることで、
「危険だらけの世界」というシミュレーションを、
現実に近い落ち着いた世界へ修正していくことが可能 になります。
「世界はシミュレーション」だとしたら、今の苦しさはどう解釈できるか
この仮説を、あくまで「心のセルフケアのための比喩」として使ってみます。
1. 「バグがあるのは、あなたではなく“プログラム”の方」
あなたが今感じている
- 過剰な自責感
- 将来への強い絶望
- 他人への極端な恐怖
- 眠れないほどの不安
これらは、
「あなた自身がだめ」
というよりも、「今の脳内シミュレーションにバグが出ている」
と見なした方が、治療がしやすくなります。
バグがあるのなら、
- 修正する(カウンセリング・認知行動療法)
- 負荷を軽くする(薬物療法・休職・環境調整)
- バックアップ(支えてくれる家族や友人・医療者)
という発想が自然です。
2. 「シミュレーションは“アップデート”できる」
脳の可塑性(かそせい)という言葉があります。
これは、脳が生涯を通じて、変化し続ける性質のことです。
- トラウマ治療(EMDRなどの専門的な心理療法)
- 認知行動療法
- 行動活性化療法
- スキーマ療法
- マインドフルネス認知療法
などのエビデンスのある心理療法は、言い換えれば
「あなたの脳のシミュレーションを、安全で現実に近いものへアップデートする作業」
です。
今のシミュレーションがどれほど暗くても、
アップデートの余地は常に残っている
これが、医学的にも、そして哲学的にも「究極の楽観主義」だと私は感じています。
【体験談】「周囲は敵ばかりだ」と思っていた患者さんが、少しずつ「グレー」を受け入れられるようになるまで
※守秘義務の観点から、複数の患者さんの経験を統合し、
個人が特定されないよう配慮したフィクション体験談です。
初診時:「世界はシミュレーションなんて、きれいごとだと思いました」
20代後半の男性Aさん。
職場での人間関係に疲れ果て、うつ病と社会不安障害を併発して来院されました。
- 「自分は社会不適合者です」
- 「上司はいつも自分の味方ではありません」
- 「世界は理不尽で、努力は全部無駄です」
問診の中で、Aさんは何度も
「周囲は敵ばかりだ」という表現を使っていました。
ある日のカウンセリングで、
セラピストから、こんな話をしました。
「もし、今見えている敵だらけの世界が、あなたの脳が疲れた結果つくり出しているシミュレーションだとしたら、ほんの少しだけ、設定を変えてみることはできるかもしれません。」
Aさんは半信半疑でした。
数か月後:薬物療法+認知行動療法+カウンセリング
- 抗うつ薬で、極端な気分の落ち込みを緩和
- 認知行動療法で、「自動思考」のパターンを一緒に検討
- 「本当に世界の99%が敵なのか?」を丁寧に検証
- 安心できるカウンセリングルームで、過去のつらい体験も少しずつ共有
時間をかけていくうちに、
Aさんのシミュレーションは少しずつ変化していきました。
- 「世界の9割が敵」 → 「世界の半分くらいはグレー」
- 「自分は完全に無価値」 → 「仕事以外ではちゃんと人間関係がある」
- 「将来は真っ暗」 → 「全部ではないけれど、やってみたいことも少しある」
Aさんが、ふと言ったひと言が印象に残っています。
「先生、前は世界は終わってるとしか思えなかったんですけど、最近は“世界はまあまあバグってるけど、アップデート次第でどうにかなるゲームかもしれない”って、ちょっとだけ思えるようになりました。」
その瞬間、Aさんの中で、
「世界=敵」というシミュレーションが、
少しだけ書き換わったのだと思います。
Q&A:シミュレーション仮説と心の不調について、よくある質問
Q1. 「世界は全部シミュレーション」と思ったら、むしろ虚しくなりませんか?
A. この記事での「シミュレーション」は、哲学的・SF的な断定ではなく、
「脳がつくる主観的な世界」の比喩として使っています。
「どうせ全部シミュレーションだから意味がない」ではなく、
「今の感じ方・世界の見え方は、絶対の真実ではなく、
脳の状態や過去の経験によって歪んでいる可能性がある」
と理解できると、
- 自分を責めすぎない
- 「変えられる部分」が見えてくる
- 治療やカウンセリングを受ける意味が腑に落ちる
というメリットがあります。
Q2. うつ病や不安障害があるときも、「考え方次第」で何とかなりますか?
A. 「考え方次第だけで何とかしろ」と言うのは、難しい場合もあります。
うつ病・不安障害・パニック障害・PTSDなどは、
脳の機能の変化を伴う“病気” です。
- 必要に応じた薬物療法
- 休職や環境調整
- 家族や職場の理解
- 専門的なカウンセリング・心理療法
これらを組み合わせることで、
「薬で最低限、シミュレーションの暴走を止める」
+「心理療法で、じっくりとシミュレーションを書き換える」
という方針が、現実的で、科学的です。
Q3. 本や自己啓発動画だけで、自分のシミュレーションを書き換えられますか?
A. 軽いストレスや一時的な落ち込みであれば、
読書や自己啓発コンテンツ、マインドフルネスの実践が役立つこともあります。
しかし、
- 何週間も続く強い抑うつ
- 死にたい気持ちが出てきている
- 仕事や学校に通えないレベルの不安や不眠
- フラッシュバックやトラウマ反応
がある場合は、「セルフケアだけでは危険」です。
「自分の人生の大事なシミュレーション」だからこそ、
一人で抱え込まず、心療内科や精神科、カウンセリングルームという
専門のメンテナンス工房を活用してほしい
とお伝えしたいです。
心療内科やカウンセリングに行くのが怖いあなたへ
「こんなことで相談していいのか」と迷っている方へ
診察室でよく聞く言葉があります。
- 「自分なんかが受診していいのか分からなくて」
- 「もっとつらい人がいるのに、自分は甘えている気がする」
- 「病名がつくのも怖いし、会社にバレるのも怖い」
医師としてお伝えしたいのは、
「こんなことでと感じることほど、
早めに相談してもらった方が、楽になりやすい」
ということです。
- 病名がつかないグレーゾーンの段階
- 「不調だけど、まだギリギリ生活は回っている」段階
で相談していただく方が、薬の量も少なくて済み、心理療法も効果が出やすい印象があります。
心療内科・カウンセリングで、実際に何をするのか
- 現在の症状(睡眠・食欲・意欲・不安・身体症状など)の整理
- 必要に応じて血液検査や問診で、身体疾患の除外
- うつ病・不安障害・適応障害・ASD/ADHDなどの可能性を総合的に評価
- 生活リズム・仕事・家族関係・過去のトラウマなどを、
あなたのペースで、少しずつ整理 - 薬物療法の選択肢と、そのメリット・デメリットの説明
- 認知行動療法・マインドフルネス・カウンセリングのご提案
を、「あなたの脳のシミュレーションを、少しでも生きやすいものにする」
という目的で一緒に考えていきます。
医師からのメッセージ:「あなたの世界は書き換えられる」という前提で、生きてみませんか
最後まで読んでくださりありがとうございます。
心療内科医として、多くの方の「内なる世界」の変化を見てきました。
- かつては「世界は地獄」としか思えなかった人が、
数年かけて「世界はまあまあ悪くないかもしれない」と感じ始める瞬間 - 「自分には価値がない」と泣いていた人が、
他者を支える仕事で、静かに輝き始める過程 - 「未来は真っ暗」と訴えていた人が、
小さな楽しみをひとつずつ取り戻していく姿
そのどれもが、
脳のシミュレーションがゆっくりと書き換わっていくプロセス でした。
もし今、あなたの世界が
- 暗くて
- 恐ろしくて
- どうしようもなく冷たく感じられる
としても、それは「永遠の真実」ではなく、今の脳の状態が作り出している、ひとつのバージョンにすぎません。
「世界はあなたの脳が作り出したシミュレーションかもしれない」
という見方は、「だから何をしても無駄」という諦めではなく、「だからこそ、書き換える余地がある」という希望につながります。
一人で、その書き換え作業を抱え込まないでください。
心療内科や精神科、カウンセラー、臨床心理士など、「シミュレーションの調整」に慣れている専門家がいます。
- 眠れない日が続いている
- 死にたいまではいかないが、生きている意味が分からない
- 自分を責める声が頭の中で止まらない
- 人間関係のことで、心がすり減っている
もし、どれか一つでも当てはまるなら、どうか一度、相談の扉をノックしてみてください。
あなたの世界は、今よりも、少しだけやさしいシミュレーションへとアップデートされていくはずです。

